【不安型ADHDへ】もうちょっと雑に生きてみないか【脱・完璧主義】

もうちょっと雑に生きてみないか ライフハック

今回は、和田秀樹さんの著書「もうちょっと雑に生きてみないか」から、特に不安傾向や神経症傾向の強いADHDに役立つ知識をご紹介しようと思います。それ以外のADHDであっても、ADHDはこだわりが強かったり、変なところで完璧主義だったりすることがあるので、そういった方も参考になると思います。

「こうしなければ」という“思い込み”

雑になれない完璧主義の人には、自分も気が付いていない「思い込み」があります。「こうしなくちゃ」「こうあるべきだ」という堅苦しい考え方が染みついており、それ以外のことを考えることができません。

雑になれない人は、できないことをあっさりあきらめることができず、「やらなくちゃ」「できなくちゃ」という思い込みに縛られてしまい、どんどん苦しくなってしまいます。

今まで、自分の思い込みを当たり前のこととして受け止めてきたので、それ以外の考えや選択ができず、自分のものさしを絶対視してしまうのです。

雑に生きられない人の特徴として、素直に負けを認められないというのがあります。
例えば、相手の冗談や何気ない言葉にも敏感に反応し、反論したり突っかかったりしてしまいます。
「負けちゃいけない」という気持ちが強いほど、ほんとうに些細なことまで「負け」を意識するようになります。
そのたびにムキになったり、自分を責めたり追い込んだりして、気持ちが休まることがないので、楽に生きられません。

雑な受験生が最後は勝つ

和田氏によれば、受験においては雑な受験生の方が結局は勝つそうです。
まじめな受験生は手を抜けないので、とにかく第1問から解こうとし、それが難しい問題や苦手な分野の問題であったとしても、あきらめることができず、そればかり気になって何とか解こうとします。

「できるはずだ」「負けちゃいけない」と考えてしまうのです。
そうしていると、時間だけがどんどん過ぎていき、学力が点数に結びつかない結果に終わってしまいます。
試験はほかの問題やほかの科目を全て合計した合計点で判定されるのに、そのことを忘れてしまいます。

完璧主義な人は、自分のこだわりには、かなりの労力を費やしますが、ほかのことは全然見えていないことが多いのです。見えている部分にこだわりすぎて、全体を忘れてしまいます。

一方、雑な受験生は、解けない問題や苦手な問題はさっさとあきらめてしまいます。
「できないものはできない」「負けてもいい」と考えるからです。
その結果、雑な受験生の方が、解ける問題を確実に解いて点数を確保することができます。

「全部できなきゃ」「期待されている」という、うぬぼれ

「全部できなきゃ」「他人より劣ることでも、あきらめたり放り出してはいけない」と思い込んでしまうところが、根本的にまじめな性格です。

そういったまじめさには、「わたしは何でもできるはずだ」という完璧主義やうぬぼれを持っており、「あきらめろ」「捨てろ」といわれても、一つも捨てられない、あきらめられないのです。

そして、自分の固定観念に異様な自信をもっている完璧主義の傾向があったり、期待されていると思い込んでしまっている傾向もあります。

一方、できないことや苦手なことはさっさとあきらめてしまう人は、自分にはできないこともあるし、人より劣ることもあるとあっさり負けを認めてしまいます。
そのかわり、得意なこと、人よりできることだってあると考えているのです。
こう考える方が、楽な気持ちで生きていけるのではないでしょうか。

無理をしても効率を下げるだけ

雑になれない人は、「やればできる」「負けちゃいけない」と思い込んで、どんなにハードワークが続いても頑張り続け、クタクタになっても自分のノルマや責任を果たそうとします。

できているうちはよいのですが、慢性的な疲労感によって、意欲も集中力も低下し、仕事の効率を下げてしまいます。それによって、できていたこともだんだんできなくなってきます。
そして無理な残業を続けることになり、うつ病などのリスクを高めてしまいます。

「やればできる」と考え続ける限り、目の前から視線をそらせません。
頭の中には、乗り越えなければならない「いま」だけが常に居座っています。
しかし、遠くをみたり、これからのことを考えるようになれば、「いま」は小さくなり、「いまがすべて」という考え方は薄れます。

遠くを見れば、いろいろな人のいろいろなやり方や、いろいろな世界に気づきます。
小さなつまづきを何度か繰り返しても、大きな問題はなく仕事が進んでいけば、できないことや負けることがあっても何とかなることに気が付きます。
あきらめたり、放り投げたりすることがあっても、「要所さえ押さえられれば大丈夫だ」と思えるようになります。

人間の取り柄は「雑になれること」

雑になれない人は、不真面目やいい加減が許されない環境の中で育ってきたということもできます。
まじめであることを美徳として刷り込まれてしまったために、どうしても雑になれないとか、なりたいと思っても自分でブレーキをかけてしまう側面があるような気がします。

日本人は勤勉でまじめだという言い方があります。
ほとんどの人は、それが日本人の長所であると思っており、まじめさを美徳とする考え方を疑う人はめったにいません。

AIが進化して、どんなことでもミスなくできるようになれば、おそらく私たちは自分の完璧主義がバカらしくなったり、つまらなく感じるようになるでしょう。

「わたしがやらなければ」「人任せにできない」という気持ちも、AI相手にはどうにもなりません。
AIは組み立てられたプログラムを完璧に実行していくので、人間に勝ち目はありません。
そうなってくると、もはや人間の取り柄は雑になれることしかありません。

緻密さや完璧さが要求される作業はAIに任せて、人間はおいしいものを食べたり、旅行に出かけてのんびりと風景を眺めたり、とにかく人間だからことできることを楽しむのが一番幸せな生き方になってくるはずです。

いちいちまじめに受け止める必要はない

自分がまじめすぎるだけで、相手も周囲も口で言うほどまじめではないし、真剣でもないことがあります。
例えば、上司に何か言われて落ち込むのは、その言葉をまじめに受け止めるからです。
「こんな成績でどうするんだ」「期待していたのに」などと言われると、まじめな人はたちまち追い込まれます。

そのような人は、もともと「やればできる」と思っていますし、「期待に応えなくちゃ」という思い込みがあるので、限界まで頑張ろうとしてしまいます。

しかし、上司の本音などわかりません。「ここらで一発かましておくか」や「本当は期待していないけど、手抜きされたら困るな」といった程度の気持ちかもしれません。
“雑な”気持ちで叱っているということは十分あり得るのです。

「まじめさ=美徳」という日本人に刷り込まれた古い道徳観や倫理観を相変わらず信じ続けているのが、雑になれない人です。
それが固定観念になってしまうと、周囲の人も同じだと考えるようになります。
そして、「私は限界なのに、上司はもっと高いレベルを要求してくる」というように、ある種の被害妄想的な受け止め方をしてしまうようになるのです。

はっきりと言われていないことをあれこれ考えてたり、忖度していてはキリがありません。神経をすり減らすだけです。
不安なのは分かりますが、まずは、いちいちまじめに受け取る必要はないということを意識することが大切なのではないでしょうか。

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